【群馬県】 玉村八幡宮

社格・旧県社

御鎮座・ 群馬県佐波郡玉村町大字下新田1

御祭神

誉田別命(ほんだわけのみこと)

気長足比売命(おきながたらしひめのみこと)

比咩神(ひめのかみ)

例祭  10月16日

 

当宮は日光例幣使道玉村宿の北側ほぼ中央、上新田と下新田の境に鎮座し、参道が街道に向かい延びています。この境内地はもと中世の館跡と伝えられていま す。はじめは角渕村にあり、社名も角渕八幡宮と称していました。玉村八幡宮に関する資料として当宮には二つの縁起が保存されています。一つは『上野那波郡 府内角渕八幡宮縁起』で、もう一つは『上野国玉村八幡宮本紀』です。前者は当宮別当神楽寺遍照院の僧が元和元年(1615)に編み、後者は前橋藩の儒官古 市剛が貞享3年(1686)に前者縁起を参照して著したものであります。当宮の創立沿革を知る史料としてはこの二つの縁起のほかには棟札類がわずかに残っ ているにすぎません。これらの史料をまとめると、当宮の創立と沿革は次のようになります。

鎌倉時代の建久6年(1195)に源頼朝が上野奉行安達藤九郎盛長をして鎌倉鶴岡八幡宮より御分霊を勧請して創建した八幡神社(町内角渕鎮座)が当宮の元 宮です。角渕の八幡神社には本社、塔、鐘楼、山門、鳥居などが建てられました。応永18年(1411)に鎌倉公方足利満兼が大破していた堂舎、僧坊を再興 し、さらに永正4年(1507)には白井城(現北群馬郡子持村)城主長尾氏が戦火で消失したものを再建しました。

慶長10年(1605)、関東郡代の伊奈備前守忠次が、当地の新田開発の任にあたって「今我荒原を以って熟田と成さんと欲す。伏して請い願わくは神霊我を 祐(たす)けよ。若しその功成る時は即ち謝するに神社の造立を以ってせん」とその成就を祈願しました。慶長15年(1610)、前橋の総社から天狗岩用水 を延長する代官堀(滝川用水とも称される)を開削して開田するという一大事業が無事竣工し、角渕の八幡神社の本殿を移築し、現在地に奉斎しました。

境内地は伊奈備前守の陣屋と開発に協力した和田与六郎の屋敷に挟まれた中世の環濠屋敷跡とされ(外周の濠は狭められたり、一部埋め立ててあるものの、ほぼ旧態をとどめています)、新たに設置された上新田村と下新田村の境に位置します。

以来、武神として諸武将の尊崇をあつめて栄え、近世には厩橋(前橋)藩主酒井氏の庇護を受けるところとなりました。寛永15年(1638)酒井雅楽頭忠清によって修理が加えられ、慶安2年(1649)8月、三代将軍徳川家光より朱印地30石の神田を賜りました。寛文7年(1667)、再度酒井忠清によって 社殿の修理が成されました。貞亭元年(1684)には、酒井雅楽頭忠明によって新院良仁(ながひと)法皇(後西天皇)の御宸筆(ごしんぴつ)、「八幡大菩 薩」の神号が奉納されました。その後もたびたび修理が加えられましたが、寛延2年(1749)に崇敬厚かった酒井氏が播磨国姫路に移封されて以降は領主に よる修理は行われず、以後は七郷十二ヶ村が協議の上「修理講」を興し、その講金に朱印地の収穫を合わせて祭儀の執行と社殿の修理にあてるようになりまし た。

 

江戸時代は神楽寺がその別当職でしたが、明治初年の神仏分離政策により八幡宮と神楽寺はそれぞれ独立しました。 明治6年村社に列せられ、同41年1月31日境内社稲荷神社ならびに近郷の神社8社を合祀、同年8月1日には室町事態の建築様式を残す本殿が国の特別保護 建造物(旧国宝)として指定。大正14年には県社に列せられ、昭和25年に本殿が国の重要文化財に指定。昭和11年、平成11年に社殿の修理が行われ今日に至っています。

玉村八幡宮HPより

 

 

画像はありませんが国道354号線に隣接して木造の大鳥居があり、そこを抜けて進むと随神門が現れてきます。

 

この随神門は慶応元年(1865年)の建造で入母屋造の楼門で、大工は越後国中之嶋の浅野喜内藤原長正、彫物師は武蔵国玉井村の小林槽次郎榮次郎らで造られ装飾されたそうです。

随神門を抜けると左手に猿田彦神社・淡島神社が祀られています。

 

 

 

 

この社殿の回りには安産祈願の子育て犬や石碑などが安置・祀られております。

 

 

猿田彦・淡島神社を進むと左に手水舎・正面に鳥居と神門が現れます。

 

 

鳥居と神門の間には小さな橋が架かり、そこを抜けると本社殿となります。

 

 

拝殿

 

 

 

確かではありませんが、建築の各種特徴から推測すると、この拝殿の建造は18世紀末ごろではないかと云われています。

 

 

御本殿(重要文化財)

永正4年(1507)建立、慶長15年(1610)移築
鎌倉時代の建久6年(1195)に守護安達氏によって鎌倉鶴岡八幡宮から勧請されました。神社の当初の社地は約2.5km南の角渕地内で、現在でも同地には八幡宮が祀られています。慶長15年(1610)に代官伊奈忠次の新田開発祈願を契機に角渕から現在地の下新田に移されました。
三間社流造、柿(こけら)葺で南面しています。建物全体は漆彩色で華麗な造りとなっています。
屋根の反りや側面上部の蟇股(かえるまた)・海老虹梁(えびこうりょう)などに特色があります。
特に近世以後行われた修理の部分と、創建当時の違いが対比できるのが貴重とされています。
明治41年に室町時代の建築様式を残す本殿が国の特別保護建造物(旧国宝)として指定。大正14年には県社に列せられ、昭和25年に本殿が国の重要文化財に指定。昭和11年、平成11年に社殿の修理が行われ今日に至っています。

当宮HPより抜粋

 

 

社殿に隣接して猿田彦・古峰・稲荷社を祀った祠と国魂神社(奉安殿)が鎮まっております。

奉安殿とは、天皇・皇后両陛下のお写真奉置所のことで明治四十三年十月に玉村小学校に建てられました。児童達は登下校の際には必ず奉安殿に礼をして通っていました。

戦後、奉安殿は八幡様の境内に移転し、戦没者慰霊の国魂神社としてお祀りしております。

 

この国魂神社は戦没者慰霊の意味だけではなく、この先戦争中の子供達が、どの様な教育を受けてきたかを学ぶ事や伝えていく上で重要な建物だと考えらます。

 

 

 

本殿右手奥には厳島神社が祀られています。

厳島神社・社殿横は絵馬掛け所になっており、数種の絵馬が数多く掛けられています。

 

 

神楽殿

 

 

【御朱印】

御朱印は猿田彦・淡島神社の前方にある授与所で拝受することができます。

初穂料は300円

また、当宮にはオリジナル御朱印帳の用意もあります。

 

 

オリジナル御朱印帳

 

 

玉村八幡宮アクセス

所在地 群馬県佐波郡玉村町大字下新田1

最寄駅 JR新町駅、高崎駅、前橋駅、伊勢崎駅よりバス利用

URL http://www.tamamurahachimangu.net/access.html

 

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コメント: 1
  • #1

    品川翔太 (土曜日, 18 8月 2018 14:08)

    営業時間と御〜印帳長く時間やってほしいです。
    夕方やっていればね。
    ぜひ考えてください。