【兵庫県】神戸三社 湊川神社

社格・別格官幣社

鎮座地・神戸市中央区多聞通三丁目11

御祭神

楠木正成公(大楠公)くすのきまさしげこう

神仏霊場第70番(兵庫5番)

例祭 7月12日

 

湊川神社

楠木正成は、延元元年(1336年)525日、湊川の地で足利尊氏と戦い殉節した(湊川の戦い)。その墓は長らく荒廃していたが、元禄5年(1692年)になり徳川光圀が「嗚呼忠臣楠子之墓」の石碑を建立した。以来、水戸学者らによって楠木正成は理想の勤皇家として崇敬された。幕末には維新志士らによって祭祀されるようになり、彼らの熱烈な崇敬心は国家による楠社創建を求めるに至った。1867年(慶応3年)に尾張藩主徳川慶勝により楠社創立の建白がなされ、明治元年(1868年)、それを受けて明治天皇は大楠公の忠義を後世に伝えるため、神社を創建するよう命じ、明治2年(1869年)、墓所・殉節地を含む7,232坪(現在約7,680坪)を境内地と定め、明治5年(1872年)524日、湊川神社が創建された。

境内には、楠公にゆかりのあるものを納めた宝物殿や能楽堂である神能殿や結婚式などのための楠公会館などがある。また兵庫県内の神社の事務を管轄する兵庫県神社庁の事務所がある。

 

 

御墓所 ごぼしょ(史蹟 しせき・楠木正成墓碑 くすのきまさしげぼひ)

正成公以下御一族等の墓所として、境内東南隅に位置します(国指定文化財史蹟)。

元禄五年(1692)に、権中納言徳川光圀公(ごんのちゅうなごんとくがわみつくにこう)(水戸黄門)は、家臣佐々介三郎宗淳(さっさすけさぶろうむねきよ)を、この地に遣(つか)わして碑石(ひせき)を建て、光圀公みずから表面の「嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)」の文字を書き、裏面には明(みん)の遺臣朱舜水(いしんしゅしゅんすい)の作った賛文(さんぶん)を、岡村元春(おかむらもとはる)に書かせて、これに刻ませました。

 

この墓碑の建立によって、正成公の御盛徳は大いに宣揚(せんよう)されるとともに、幕末勤王思想の発展を助け、明治維新への力強い精神的指導力となったのです。即ち幕末から維新にかけて、頼山陽(らいさんよう)・吉田松陰(よしだしょういん)・真木保臣(まきやすおみ)・三条実美(さんじょうさねとみ)・坂本龍馬(さかもとりょうま)・高杉晋作(たかすぎしんさく)・西郷隆盛(さいごうたかもり)・大久保利通(おおくぼとしみち)・木戸孝允(きどたかよし)・伊藤博文(いとうひろぶみ)等々は、みなこの墓前にぬかづいて至誠を誓い、国事に奔走したのです。

湊川神社HPより転用

 

 

上の画像は墓所の入り口。湊川神社・神門の右手になります。

画像下の左が御墓所で、墓所に隣接して徳川光圀公の銅像が建立されています。

 

 

神社境内に入ると、拝殿まで長い参道が続きます。

 

 

参道の右手には楠本稲荷神社が鎮まっています。

(神社庁の建物はこの稲荷神社の左側にあります。)

 

 

手水舎は参道の中程となります。・・・画像右下は由緒不明の謎の鉄器。

 

 

【拝殿】

 

 

拝殿向かって右手にある祈祷殿。

 

 

祈祷殿に連接したところに菊水天満神社が祀られています。・・・画像右下は親子さざれ石。

 

 

遥拝所

この遥拝所は皇居を向いているそうで、現在でも年に数回の遥拝を行っているそうです。

 

 

【御朱印】

御朱印は御墓所を含む四種が頒布されています。

初穂料は各300円

また、当神社にはオリジナルの御朱印帳もあります。

 

 

オリジナル御朱印帳

 

 

湊川神社アクセス

所在地 神戸市中央区多聞通三丁目11

最寄駅

JR神戸線・・・「神戸駅」から北へ徒歩約3

◇阪急・阪神・山陽各電車・・・「高速神戸駅」下車すぐ(東改札を出て、右手の階段を上がると正門前です)

◇市営地下鉄山手線・・・「大倉山駅」から南へ徒歩約5

 

◇市営地下鉄海岸線・・・「ハーバーランド駅」より北へ徒歩約5

URL http://www.minatogawajinja.or.jp/access/